古代の雑学
西郷隆盛
東京の上野といえば西郷隆盛の像があることで有名ですよね?!
実はあの西郷隆盛は本物かどうかは定かではないということを知っていますか?
そもそも西郷隆盛という人は薩摩藩士で明治維新の指導者であり、政治家で維新への多大な功績を残したことから未だにその人柄に多くの人が心を寄せています。
西郷隆盛が亡くなってからもう130年も経過しているためか、その真の顔を知り証言できる人はいなくなってしまいました。
実は私たちがよく知る隆盛の顔はイタリアの画家のキヨソネが描いた肖像が上野の森にあります。
キヨソネ自身も一度も隆盛に会った事がなく参考にする写真も残っていないことから、隆盛の弟である従道の顔上半分と、従兄弟の大山厳の顔下半分を組み合わせて西郷隆盛の肖像画を描いたとされています。
そのため、上野の西郷隆盛や歴史の教科書にのる写真が隆盛の真実の顔を表しているとは限らないのです。
事実、肖像画を元に作成された像の除幕式で未亡人の糸子は「私の主人はこんな人じゃなかった」と呟いたとまでいわれています。
しかし、これは顔だけを指していっているのではなくて、軍人であった西郷隆盛が浴衣の着流な着なかったという意味があったのかも知れません。
そんな中、1991年秋田県仙北市角館町にある旧家・青柳家の『開かずの蔵』が100年ぶりに開かれた際に古い桐箱に収められた41枚の写真が発見されました。青柳家11代当主・青柳正信が集めたといわれるこの写真の裏には、それぞれの名前が書かれてあり中には伊藤博文・板垣退助・大隈重信などの著名人が多く存在している写真だった。
その中の一枚に、その名前が消されたような形跡がある写真があっり、歴史研究家の高橋佐知氏が言うには写真の人物こそ西郷隆盛ではないだろうか?!といわれているそうです。
しかし未だに確証はつかめておらず、今後の調査の結果が期待されます。
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エレサレムのドーム
7世紀にカリフのアブド・アルマリクがキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地でもあるエルサレムに建てたイスラム会堂です。
黄金に輝く岩の屋根のドームの外壁は青色の石、壁の低い部分には灰色の大理石、上部は込み入ったアラベスクを刻んだ緑と青のタイルで覆われた。
イスラム会堂の中には、アブラハムが息子イサクをいけにえとして捧げようとしたとうとした巨大な岩があり、それはイスラム教の開祖です。
王家の谷
エジプトのカイロからナイル川をさかのぼった谷間にある王様たちの墓です。
淋しい岩山の谷間に、盗掘を逃れるために作られたという。
ファラオたちの墓があり、全部で62発見されている。
1922年にイギリスの考古学者、ハワード・カーターが発見した「ツタンカーメンの墓」、王のミイラをはじめ、黄金のマスクなど3500点が埋葬されたときのまま残ってた。
一緒に探したイギリスのカーナーヴォン卿が病死したので「ファラオの呪い」の逸話が伝わっている。
他に、棺の置かれた部屋の天井にある天体図が有名なセティ1世の墓、通路の壁面にある「洞窟の書」が見どころのラムセス9世の墓、サプタハの墓等の墓があります。
テーベのネクロポリス
エジプト中部のナイル湖畔にある遺跡の街ルクソールには、テーベ・ネクロポリスの岩壁をくり抜いた3000年前の墓。
古代エジプト人が「永遠の家」と呼んだ貴人たちの墓です。
ラフミラの墓、センネフェルの墓、メンテの墓がある。
王族の岩窟墓や、王の再生と復活を祈る葬祭殿がずらりと並び、死の世界にまつわる遺跡が多いため、この地区はネクロポリスといわれている。
ミノス宮殿
エジプトとギリシアの中間、地中海とエーゲ海の出会う所のクレタ島。
3000~4000年前に造られたと言われる、縦170m、横180mの大宮殿です。
ミノス王の妃パーシファエの色欲を満たすため牡牛と交わった結果、生まれてきた頭は牛、体は人間というミノタウロスが住んでいた。
また、迷宮と呼ばれるようにいくつもの部屋や倉庫が上下左右に配置されています。